憧れのお姉さまに遊んでもらった
齢80前後。たぶん。お世話になっているお姉さんが更に憧れている人で、末席に座らせていただいてもう15年位にはなるだろうか。私は春さんの正確な年齢を知らない。とはいえ年齢など全く関係なく、センスと発想がとにかくぶっ飛んでいる方で、中身の年齢はガワ、すなわち肉体の年齢とは全くかけ離れたものなのだと、一緒に過ごすと実感できる。佇まいに雰囲気がある人なのだ。
色々ありすぎた4月5月で、ようやく一息付けるかな~!というタイミングで突然、春さんが来たのでした。春さんはだいたいいつも突然来る。というより、Rさんには連絡が行っているんだろうけど、Rさんは私に話したと思い込んで私に伝達されず、仕事終わりの22時とかになって、突然「春さん来てるよ!来ない?」と来るのです。とんでもない夜鷹の熟年者たちなので、私も安心して「23時すぎに合流できます」などと返すのだけど。
それで、Rさんが骨折しているし、まあ常人ではないスピードで治癒が進み意味がわからないけど、もう仕事にも復帰しつつあるわけだけど、自由に車を運転したり、春さんをおもてなしするお出かけには厳しい。そんな事情もあるし、なんせ、春さんが函館に来ているわけだから、私だって気になって仕事どころではないし、パソコンの前に座っていても腰が落ち着かない。私は、好きな人は観察をしたいっていう変態性を持っているので、積極的にお供をしたいのだ。
そんなわけで、この3日間(といっても初日は1時間くらいだ)は、時間の許す限り春さんと一緒にいさせてもらった。独り占めできた時間がたくさんあって、とても幸福だった。
火曜日は12時から合流。旅割のクーポン的なもので昼食をごちそうしていただいた。回転寿司で特に計算せず適当につまみつつ、たらたら喋った。計算したわけでもないのに所持クーポンの金額プラス200円あまりで爆笑。
その後、悪天候だったのでRさんちで、1960年代~1970年代の東京を撮った映像を見る。ちょうどそのころ東京でバリバリの時代を送っていた人なので、今では全く古い時代に見える動画の中のことをリアルに体験していた人の話を聞きながら映像を見るのは本当に面白い。高度経済成長期の東京都、造成しまくっていたニュータウン、そして団地の作られ方。通勤ラッシュの上野駅と、下町の八百屋や商店の様子。家庭での食事の様子。
夜は休み。
3日目。春さんがカラーマンホールの写真を集めているというので、函館市のカラーマンホールを探索。そして、めちゃめちゃ天気が良かったので、石崎海地主神社と函館あいす118へ。


